どうも、仕事の壁にぶつかっている。
土木事業において、先の戦略が定まらないから。
方向性は 「地域に本当に必要とされる会社になる」であり、これは定まって動かない。

問題は、その方向性の具現化だ。
土木事業において継続的に経営を維持するためには、受注を絶やさないことが不可欠である。
できれば、安定的且つ先行的な企業経営をしたいなら、ある程度の規模の工事を不定期でも受注することが肝要である。
そのためには、目の前の工事を確実に受注していくことが経営者として求められる。
現在、公共工事は入札金額に加えて、工事点数(発注者が工事毎に評価する)や 技術提案によって落札者が決定される。
だから、出来るだけ 金額を正確に、そして工事点数を高く、技術提案をより評価されるように心血を注ぐことになる。
経営最高責任者は自分だから、大きく関与する。

目下のところ、業績の数字は悪くない。でも 何か 最近 その過程に空しさを覚えることがある。
その過程に 感動 は あるのか?
受注した仕事を通じて、社員が味わうやりがい、生き甲斐を感じているか?

ふと、自分の息子のことを思い出した。
彼は目下高校二年生で大学受験に対峙している。
相当な天才・俊才でない限り、合格するために数多くの過去問へ当たり、膨大な情報量を頭に詰め込んで、受験に備える。
受験する大学の傾向に応じて対策を打つこともする。

受験勉強そのものの効用は、否定するつもりはない。
その取組みを通じて、それなりの教養も身に付くし、精神的な修練の場としても有用だと思う。
しかし、彼らは、受験そのものに 生き甲斐は感じない。
それは 割り切れるから。
大学に入って、自分のやりたいこと(専門的な学問であったりも もちろんする)が出来るから。

一方、今の公共土木工事においてはどうだろう?
次の受注確保のために、”受験そのものが仕事”になっていないだろうか?
本来、物を造る その過程にやりがい、生き甲斐を感じて 土木の世界に入ってきた人がほとんどであるはずなのに、
なぜか 「高い点数をとること」が命題となり、そこを絶えず意識しながら仕事をしていく環境に入っていく。
インターンシップで 中学生、高校生を受け入れて 学生を現場に案内するとき彼が目を輝かせるのは 純粋に物を造る世界に引き込まれるときだ。
決して、高い点数をとって、周囲から評価されるところに魅力を感じるわけではない。
社員に 是非 うちの会社に入ることで やりがい、そして生き甲斐さえも感じる体験を いっぱいして欲しい。 そう思っているのだが・・・
果たして、どれだけのフィールドを与えることが出来ているのだろう?
「経営の継続」を旗印にして、それを犠牲にしていないか?

自分が、そんなことを考えているときに 当社のある出来る社員から「点数を意識しながらの工事は疲れた」 とこぼされた。

なんとも やりきれない気持ちに陥っていたときに、全国各地から建設業経営者が集まる勉強会に参加した。
メンバーは 顔なじみがほとんど。
私の心境を吐露すると、その中の一人が
「内山さん、俺、そんなことで悩み続けていたら、身体持たなくてとっくに死んでるよ。」
この会社、今や全国的に先進的な取り組みをしていることで有名で業績も右肩上がりである。
そんな会社の社長の言葉だったので、意外でありまた説得力もあった。

そんな こんな ことを 考えているときに 目にしたテレビドラマ。
それが 「陸王」 だ。
完全に はまっている。
既に3回観ている。 本も買って読んだ。
本とドラマは 若干相違するところがあるが、仕事 本来の やりがい、生き甲斐 を再認識してくれる場面に多く遭遇する。
銀行員と 経営者という 自分の立場と重なるところも 惹かれる一因かもしれない。

この陸王の 経営者・宮沢と同じように
自分の仕事に大きな夢を見て、そしてその夢の実現の過程で一緒にやっている社員と震えるような”感動”を味わいたい。

経営を持続することも大事だが、もっと大事なことがあるような気がする。
本を読んで、そしてドラマを観て、つくづくそう感じる。

本のくだりで 目にした文章が
「中小企業の経営者だろうと、大企業のサラリーマンだろうと、何かに賭けないとならないときって必ずあるもんさ。
そうじゃなきゃ、仕事なんかつまらない。
そうじゃなきゃ、人生なんておもしろくない。
だから、人生の賭けにはそれなりの覚悟が必要なんだよ。
そして、全力を尽くす。
愚痴を言わず人のせいにせず、できることはすべてやる。
そして、結果は真摯に受け止める」

今 試されているのかも しれない。