「内山さんは働き過ぎ。
体を大切にしないと、もしものことがあったら、会社どうするんですか?」
と、とある席で 同業者の経営者の方に言われた。
「大丈夫。万一のときのために、対応できる保険に入っていますから」
とは私の回答。
「しかし、死亡なら いいですが、 中途半端な状態で入院とかになったら・・・」
と 返された。
私、「・・・(確かに)」
より完璧なものを求めるからだろうか? すべての業務において 何かと口出しし、
そして指示、判断を与える局面が多い。
営業は、土木、建築、そして新規事業 と抱え、エリアも広い。
事業展開、企画 ほとんどの場合、私発 で 出ているものが多い。
特に、この7月から本格稼働し始めた新規事業に どうしてもエネルギーを
相当向かわせることになる。
もちろん、当座の本業の受注確保も並行して大事である。
これでは 、私の動ける時間以上に会社は大きくならないし、人も育たない な
と 改めて感じた。
少しは 自分では 管理面でメリハリをつけている つもり。
この社員だったら、ほとんど任せっぱなしにしても大丈夫だと 考えれば、
ほとんどその現場には 足を運ばないで その分を 他で心配な方向に
ベクトルを向かわせている。
もっとも、最近 この手の社員から
「社長は ちっとも現場に来てくれない。
現場で どれだけ自分が苦労しているか、わかろうとしていない」
と 直談判された りしている。
「自分の置かれている状況を わかってくれよ。
社長、現場は私に任せて・・・と 言ってくれよ」など 言いたいところだけど、
現実は そう都合のいいものでは なさそうだ。
やはり 任せっぱなし は いい意味でも 悪い意味でも よろしく無いようだ。
宿命。
じっと 自分の中、そして 相手、周辺環境 を眺めてみて
自分なりの 判断 で 対応していく。
つくづく ”器量”の大切さを 実感する この頃である。