当たり前だが、なかなか シナリオ通りには 事は運ばないものである。
営業面で、これと これと これは この時期に・・・ というシナリオを描く。
そして、それを確実にするため、公開されているあらゆる情報を基に、
対策を打っていく。
かなり周到な準備で臨んだつもりでも、蓋を開けたら まったく予想外の展開
になってしまうことが往々にしてある。
ただ、こうも言える。
一生懸命、頭と体を使い、汗をかき、そして時間をかけたことで、
後に残った資産は、次に活かす貴重なものとなる。
データにせよ、人脈にせよ。
今、論理的思考が崇拝され、そしてその思考こそビジネスで成功する鍵だと
いう流れが加速している。
そういう時代にあっても、私は 折にふれ ”神(上)”の存在を意識する。
(若い時の自分では、考えらなかった思考回路だけど)。
一生懸命やっていたら、そして その行動の規範に ”世のためのなることをする”という
ことを据えていたら、 必ず うまくいく。
つまり、自分の描いたシナリオ通りにならなくても、その過程、そして見据える方向が
お天道様に通じれば、それが結果的にはうまくいく。
今回あることでシナリオを描き、進めてきたが、残念ながら完遂できなかった。
もし、取り組みが一生懸命であり、進め方が問題なければ 今回の不成功は 結果として成功につながる。
とにかく、一生懸命 やることだ。
そうすれば、必ず誰かが見えないところで助けてくれる。
一生懸命で思い出した。
私は、必死に走り続け、その余波で疲れ切った頭の状態で、このブログを書くことがある
(本日のそのような状態だが)。
そういうときは、勢いに任せて 一気に想いを綴る。
ときには、見られていることを敢えて意識して、文字にすることもある。
気をつけなければいけのは、当社の社員のことを書く場合だ。
だいたい、愚痴っぽい口調になっているときは、それに発奮するタイプの人に向けて書いているとき。
困ってしまうのは、こちらが想定している相手でない人が、「自分のこと」と勘違いしてとるとき。
これまでは、さすがに想定はしていない。
勘違いして自分のことととってしまった社員には申し訳なく思う。
ここでも、シナリオ通りに進まない現実に直面する。
ネットは、情報を発信した直後から自分の意思は通じなくなる世界だ。改めて自覚させられている。
今後は気をつけるべきことだ。
状況操作に長けている政治家でも、なかなか シナリオ通りに、進まないものだ。
そう、悲観することはない。
大事なのは、どう転ぼうとも、その事実にまず感謝し、何か感じ取ること。
自分へ反省を促している場合、もしくは新しい歩み方、シナリオへ導こうとしている場合、
いろいろなケースがあるだろう。
そのときどきに、 感じ取って行動していくことが大切だと 思う。