県の工事が一般競争入札になってから2年間、 実は一度も県工事を受注していない。
厳密に言うと、価格のみの競争入札物件に限ってであるが。
(県工事は2件受注しているが、いづれも価格以外の要素も取り入れた総合評価方式)
この間は、150百万円くらいの工事で2,000円差(2番目)で×。
本日の二つの物件も、やはり×。
なんだか、やりきれない。
受注するために求められるのは、ただ いかに公表されている予定価格から、
統計的手法を使って最低価格を当てれるか だけの 数学的テクニックだけ。
施工技術の有無など、施工業者を決めるための採用基準として全く存在しない。
以前にも書いたが、 みなさん一般消費者の方が物を購入するとき、
数字だけで物を買うだろうか?
どんなに安くても、必ずそこには”品質”とのバランスを求めるはずだ。
「安くても、この程度の品質なら、自分が求めている機能を十分満たせる」
この考えがあるから、100円ショップの商品を求める。
そこには、『安くても、求める機能が満たせる品質がある』という価格以外の
選択基準を必ず求めている。
一方、 50百万円以上もする”買い物”に、”買主”は 価格だけ
もっと言えば 数字解析能力だけ を求めている 実態がある。
マスコミは、えてして この実態を促進させていることを、ここらあたりで
気付いてほしい。
技術を求めない単純作業などの仕事(建設業以外)などに、人員を
振り向けるのも対策の一つだが、それでは技術力は 落ちていく。
今のままでは 優秀な技術者がこの業界全体から逃げて、いなくなってしまう。
”緊急の災害対策工事が出てきても、そのときは 既に遅し。
「早く、対応して!!」と、インフラ整備体制の不備を叫んだところで
響くのは、空虚感だけ”
そんな状況が現実のものとなって足音を立てていることを、
意外と みんなは 知らない。
当社に限らず、他の会社にも 優秀な技術者がたくさんいる。
急場になったとき、その経験と独特の勘で、敏速で的確な
対応ができる”人財”だ。
申し訳ないが、素人では 危険も伴うし、また時間、品質
ともに 危機対応できない。
一度、地肌を露わにした災害現場に一度足を運んでほしい。
そしたら、実感するだろう。
今は ただ いまの環境で 踏んばるしか ない。
来るべきときに、 この声が 市民の声として受け入れられる
まで、自力で踏ん張るしかない。
話は変わるが、 時を同じくして 本日 二つ うれしいこともあった。
1、ある行政機関のトップクラスの方が、当社を訪問されたこと
あくまでいろいろ取組んでいる企業の参考ヒアリングの一環としてで寄られたらしいが、
それでもわざわざ当社に足を運んでくれたことは、励みになった。
2、新規事業関係で、大口取引の糸口が開かれたこと
ことの次第では、かなり大きなビジネスになる可能性がでてきた。
まだ、序の口ではあるが、こちらも大企業がわざわざ飛行機を使って
訪問してくれたことは、励みになった。
つらい こともあれば、うれしいこともある。
人生は いろいろな道を 通りながら  その歩みが
世のため 人のため につながる道に続いていのだと思えば、
その つらさも じっくり味わう ことができるだろう。
 
そういえば、地元紙に ここのところ戦争体験者の随想録が連載されている。
紙面から伝わる戦場の様子は、想像を絶する世界だ。
今、その地に 居ないだけでも 、自分は幸せだ。
あと45年前くらいに日本に生れていれば、この人と同じ光景、体験を
しなければならなかったかもしれない。
そして、壮絶、悲惨な死と対峙しなければならなかったかもしれない。
そう想うと、今の苦悩など あまりに ちっぽけだ。
流れ を 感じよう。 そして 受け入れよう。 取り組もう。