今年もあと数時間で終わる。
新年のブログ挨拶で
『自分の一番身近な共同体である会社から
利益第一主義、お金第一主義という価値基準を大きく変え
お金でない”豊かさ”を享受することを目的とするような社会情勢に
小さな波動を拡げていく。』
という言葉を自分は残している。

ちょっと長くなるが 自分の思想の履歴の意味合いもかねて
以下に年末を振り返っての想いを記す。

さて この1年間 利益第一主義の価値基準を
変えられる行動をしていっただろうか?

会社の会議で 「社員の人としての成長」を何度か口にした。
しかし、まず最初に口火を切って話を出すのは当座の会社の業績の数字。
各現場の利益、受注目標としている案件など絶えず最初に社員に訴えたのは
「いかに利益を出すか」ということだった。

人が成長するには何かの目標が必要だと思う。
マラソンにしても、受験にしても然り。
目標が高ければ高いほど努力が必要だし、
その過程で経験する人生の苦味がその人を成長させる。
達成したときの果実、充実感も大きい。

業績の数字を高い目標に置くことは
成長できる機会が与えられるという意味において意義があることかもしれない。
しかし 数字に固執すると 小手先のテクニックなどに走ってしまう土壌を
作る危険性がある。
となると あるべきは 数字でない 高い目標を掲げること。
その「目標の到達度を数字で測る」ということはどうだろう。
数字の先にある目標を意識し、数字がいいときも悪い時も
数字そのものに一喜一憂するのではなく
数字を作っている業務内容が、目指している目標に近づいているかに
意識を向ける。

だから、
失敗に対して言い訳をする社員
本当は芳しくない実態を隠して表は問題ないような顔をする社員
に対しては厳しく接する。
逆に、大きな失敗をしても そこで自身の至らなさを素直に深く反省する社員には
温かい言葉をかけて励ます。

ひと言で言うと  『人を育てる』事業をする ということだろうか。
これは 地道な作業だし 時間がかかる。

しかし、人が育つと 自ずと事業も正のスパイラルになり
数字も上向いていくのではないか。

人が人として成長するためには、
目標はやはり世の中のためになることにつながることがいい。
つまり、会社の事業が世の中にためになることになっているか?

これを今の自分の今の事業内容について考えるとどうだろう?
建築は そのほとんどが民間事業なので
「お施主さんにとり、経済的で健康的で機能的な居住空間を
提供して喜ばられる。そしてその提供する建築物が自然にも優しい」
ということを目標にし、その提供する業務が顧客に受け入れられる目安として
売上が上がる。
利益は?  利益は 通常にないものを提供するから得られる。
つまり、「選ばれる価値があるから 原価以上の付加価値を評価される。
評価される付加価値の尺度」というわけだ。
それなりの付加価値を評価されることで一定の利益率が確保され、
その付加価値の受け入れ先が増えることで売上が上がっていく。

一方、土木の場合はどうだろう?
土木事業は公共事業が多い。
公共事業の場合、こちらから付加価値をつけて利益率を確保し、
その上で付加価値が評価される結果として受注が増えるという形にはなっていない。
とにかく まず複数の会社と同じ土俵に乗せられて
条件はほとんどの場合、横一線。
(総合評価という制度があるが、
現在はほとんど有名無実化して実態は価格競争の意味合いが濃くなっている。
技術提案を出させて”付加価値”を評価しようとする制度もあるが、
最近はテクニック的なことで僅差がつくという制度疲労に陥っている)
だから、入札で落札できなかったときの感情が
「評価されなかった」という無念さでなく、
「くじ運が悪かった」という空虚感だ。
付加価値の評価があって売上になるのではなく
まず受注があり、その次にどうやってその中から利益を上げるか?
もしくは最低制限価格ギリギリで受注する前提で利益をいくら上げられるのか?
という考えのもとで工事案件に向かっている。

廣井勇のような高邁な思想を掲げて土木事業に傾注する従事者には
なれない虚しさが残る。
土木技術社員に どうやって人としての成長の器を提供する業務を
与えていくか?
たまたま受注できた工事を
「これは完成すれば、その地域の人が便利になるから、安心して暮らせるようになるから」
と案内することで その都度社員がその工事の完成を目標化してくれるとは思えない。

 

ところで、最近の自分の大晦日の夜の過ごし方は極めて淡泊。
近くに住む実家の両親と家族でいわゆる年越しの食事をとり、
その後家族はテレビで紅白を観ているが
私は先に家に戻ってパソコン触ったり本読んだりして
22時前には一人先に就寝する。
もともと性格がひねくれているのかもしれないが、
年末をただ歌を観て聞いて楽しむ ということでは満足しない。
何か思考回路が刺激されるものに触れる、もしくは考える時間を
作るということに充てている。
今年の年末は 一人 PCに向かって 事業の目的とは?と再考する
時間 となっていて その一端がこのブログの内容である。

 

今年一年は 個々の工事の受注、失注に 一喜一憂する枠から抜けきれないまま
終わった 一年であった。
仮に失注が少なかったとしても このままのペース、経営思考では
規模は拡大はしても 軽薄な中身の延長での経営しか出来ていなかったと思うので、
その意味から 今年複数の大きな案件を失注したことは今後の自分の充実した経営を
考える上で有意義な一年だったのかもしれない。

 

この正月は特段の予定がなさそうなので、
内村鑑三著の『後世への最大遺物』でも読んで 思考回路の再構築でもしてみようと思っている。

 

追伸
二宮金次郎の言葉
「 この 宇宙 という もの は 実に 神様…… 神様 とは いい ませ ぬ…… 天 の 造っ て くださっ た もの で、 天 という もの は 実に 恩恵 の 深い もの で、 人間 を 助けよ う 助けよ う とばかり 思っ て いる。 それ だ から もし われわれ が この 身 を 天 と 地 とに 委ね て 天 の 法則 に 従っ て いっ た なら ば、 われわれ は 欲 せ ず と いえ ども 天 が われわれ を 助け て くれる」

内村 鑑三. 後世への最大遺物 (Kindle の位置No.754-757). 青空文庫. Kindle 版.