7月17日、株式会社内山建設 令和8年度 労働安全推進大会。約100名の社員・協力会社の皆様にお集まりいただいた。

特別講演の講師をお願いしたのは、株式会社熊谷組 元会長・大田弘さんである。

「おめでとう」ではなく「大変ですね」

かつて大手四社に迫る隆盛を誇った熊谷組は、バブル崩壊とともに瀕死の状態に陥った。債務は当時の売上高を超える規模。倒産の二文字が現実味を帯びていた。

社長就任が65歳以上という時代に、大田さんは52歳でその座に就く。

「おめでとうございます」と言われた記憶はほとんどなく、大半が「大変ですね」だったという。

そして同社をV字回復させ、今日「中興の祖」と呼ばれている。

演題——黒部

今回の講演は、黒部ダムをめぐる二人の人物の物語だった。

一人は、関西電力社長・太田垣士郎氏。
もう一人は、大町トンネルの破砕帯突破に挑んだ熊谷組笹島班の班長・笹島信義氏。

わずか80メートルの破砕帯を抜くのに7か月。いつ崩れるとも知れぬ現場で、士気は落ち、山を下りる作業員が続出した。

その局面を変えたのが、発注者トップである太田垣氏が、危険な最先端まで自ら足を運び、覚悟を示したことだったという。数日後、笹島氏のもとに激励の葉書が届く。班の空気は一変した。

「発注者がいて、元請がいて、下請がいる。この三者が渾然一体となり、信頼と信用の輪で結ばれてこそ、難工事は成る」

笹島氏が辿り着いた哲学である。

安全とは、どこにあるのか

笹島氏には、こんな逸話がある。

自社の全国安全大会で、担当者が事故の発生曜日や時間帯を統計分析し、「休み明けは気が緩むので注意しよう」と発表を始めた。5分ほどで、笹島氏の怒りが頂点に達した。

「こんなつまらない分析をする時間があるなら、1分でも長く現場に居ろ!」
「現場では全員が家族だ。家族だと思えばお互いが注意し、助け合い、事故なんか起きないだろう!」

安全とは、資料の中にあるのではない。人と人との関係の中にある。
この一点が、90分を貫く芯だった。

そして、大田さんが社長就任の折に笹島氏から授かった言葉。

「怒鳴ってばかりでは駄目ですよ。ただし、甘やかしても駄目ですよ。部下を惚れさせることが大事ですよ」

会場

通常の講演としては長い90分。しかし会場は、最初から最後まで熱気に包まれていた。涙をこぼす者も少なからずいた。

大会が終わっても余韻は消えず、参加者が口々に「いい話だった」と語り合っていたのが印象的だった。あの空気は、そう味わえるものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜、二人で

懇親会の後、大田さんと二人で飲みに出た。

話は自然と、今の建設業界のあり方に及んだ。

大田さんは現場の第一線で施工管理を経験され、その後10年間、大手ゼネコンの経営者として業界を見てこられた方である。総合評価制度の導入以降、現場で何が起きてきたかを、つぶさに見届けてこられた。

私は銀行員から身を転じ、この業界に入ってきた人間だ。外から客観的に眺める立場で入りながら、現場でモノを作ることの尊さ、素晴らしさ、やりがいを、自分なりに肌で感じてきたつもりでいる。

まるで違う場所から業界を見てきた二人だが、認識は一致していた。

「このままでは、建設業界はダメになる。いいものを作れなくなる」

破砕帯突破のような熱いドラマもなければ、作る過程で人と人が交わる、心温まるドラマもない。現場監督のやりがいは、モノを作ることではなく、完成後にいかにいい点数をもらい、周囲から評価されるかになってしまった。

正直に吐露すれば、私が建設業以外の事業に多くの時間を割いていることについて、思うところのある声があるとも聞く。それは自分でもそう思う。

しかし理由は明快で、今の無味乾燥とした建設事業に、時間とエネルギーを注ぐ価値を見出しにくいからである。点数を取りに行くための過剰なパフォーマンス。人の温かさを一切介在させず、ただ数字の当てっこに神経を使う受注の世界。

建築事業はまだしも、土木事業においてその側面は年々大きくなっている。現場で真剣にモノづくりに対峙している社員の気持ちを思うと、やるせない。

その思いを、大田さんはよく理解してくださった。そして一緒に憂い、「だからこそ何とかしないといけないんだ」と気を吐いておられた。

正しいことは正しいと、正面から至誠を貫く方である。次官クラスの官僚や大物政治家とも渡り合ってこられた胆力と眼力を備えた方だからこそ、今の業界の課題を誰より痛切に感じておられるのだと思う。

翌朝、空港への道で

講演では時間が足りず語られなかった「では、どうやってV字回復させたのか」を伺うことができた。

答えは、拍子抜けするほど単純だった。

黒部の破砕帯突破で学んだ、あのお二人の生き方、仕事の仕方を、そのまま真似ただけ——。

「だけ」と書くと安っぽく響くかもしれない。だが、それを身をもって実行することの難しさを、大田さんは誰よりも分かっておられたはずだ。同時にその価値も分かっておられたから、愚直に貫かれたのだと思う。

小さな現場ほど、意識して顔を出し、声をかけた。
家族を大切にした。
小さなことを大切にした。
第一線で働く人の気持ちを大切にした。
毎朝4時に起き、社員にまめにメールを送り続けた。

——実は今回も、夜10時過ぎまで二人で飲んだ後、ホテルに戻ってその日名刺交換された方々全員に、弊社社員も含めてお礼のメールを送られていたという。

その一方で、社内にはびこっていた大企業病の悪しき習慣には、鋭くメスを入れられた。

優しさと厳しさ。その両方をもって、改革は断行された。

「君は何年で社長を辞めるつもりか」

最後に、印象深い話をひとつ。

社長就任の挨拶に業界の重鎮を訪ねた際、開口一番こう問われたそうである。

「何年で君は社長を辞めるつもりか?」

火中の栗を拾わされたのだから、早々に辞める算段をしているだろう——そんな皮肉ではなかった。

「大田ならこの難局を超えられる。だが、超えた者ほど、つい長期政権となってその地位に固執しがちだ。だから最初に戒めておく」

それが本意だったという。

できる人は、やはりできる人をよく見ているものだ。

結びに

大田さん、遠路はるばるお越しいただき、本当にありがとうございました。

私たちが受け取ったのは、安全管理の手法ではない。
現場に立つ人を、家族として見ているか。突き詰めればその一点だった。