小生、本日をもちまして 40代の仲間入りをさせていただきました。
今朝、慰霊碑(社内にある)の前に立つと、花瓶の花の色があまりに鮮やかで、びっくりしました。
今、考えれば 眠っている故人からも「頑張れ」と 祝ってもらったのではないか? と思う。
    
    
思えば、小学校のときから40歳代の男の大人の人たちを見ていて、
「あ? 大人だな?。おじさんだな?。 」 と
違う生き物みたいな想いを抱いていたその 「おじさん」の域に入ってしまった。
はっきり申し上げて、自分で言うものなんですが、とてもおじさん には見えない
のではないか と思う。周りからも、そうよく言われる。
青年部の二次会などで、先輩・後輩から「ずるい!」と茶化される。
ま、それはそれで 悪い気分ではないのだが、
別の見方をすると、
「未だ世間知らずの若造」というふうにも 言える。
多分、こちらの見方が 客観的には正しいのだろうと思う。自分で言うのも何ですが。
この外見というのは、微妙です。
しかし社会人2年目のときに撮った写真をふと眺めていると、
「やはり、歳とったな?」 と述懐したりする。
先日、飛行機の中の冊子で、
ロバート・レッドフォードを紹介した記事があった。
もう70になる彼の写真。 いい歳のとり方をした顔だった。
ああいう、顔になりたいですね。
(あくまで雰囲気。姿形ではありません。あとで、批判をあびないように予め
お伝えしておきます)
内面的に考察してみると、
”目をまるまるして真白なキャンパスの上に筆を落とす ”
そんな感覚が 確かに自分の中にある ように思う。
息子と外で遊ぶときなど、息子自体ももちろん可愛くて楽しいのだが、
息子と同じ感覚になっている自分もまた楽しい。
これも、「無謀」「大人げない」 という、マイナスの傾向に傾いてしまう
可能性がある。
しかし、これだけは、これからも持ち続けたいな、と思う。
大阪の会社を辞める前、人物的にも尊敬できるある著名な弁護士の先生に
挨拶に事務所に伺ったことがあります。
自宅などには伺っていたのですが、事務所ははじめて。
そこの部屋に飾られていた額縁の言葉が、今でも印象的です。
それは、あの サムエル・ウルマンの「青春」の詩です。
ウルマンは、この詩を70代で作ったとか。
確か、その先生を訪ねたのも、先生が70代でした。
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「青春」
       サムエル・ウルマン  作山宗久 訳
  青春とは人生のある期間ではなく
  心の持ち方をいうのだ。・・・中略
  ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
  年を重ねただけで人は老いない。
  理想を失うときはじめて老いる。・・・
 
  人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の
  霊感を受ける限り君は若い。・・・
  頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり
  80歳であろうと人は青春の中にいる。
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「40にして惑わず」と孔子は言っています。
当時と比べると、生涯年齢が長くなった分、成長する速度も相応に落ちてきてる
と都合よく解釈すると、私などは
「40にして立つ」 と言ったところ。
恥ずかしい話だが、この年になって 少しだけ世間の様相も こんなもんかな?と
理解できだし、そして「それなら、これでいこう!」という自分の生き様を
明確に描き出せてきた。
 
今、午後10時。
一人、会社の事務所に居る自分を眺め
「な っちゃった よ? 」
と 心で叫んで しまった。
学校の先輩からお祝いの電話があったが
「40代が一番充実していた」と言っていた。
さ、これから 10年 楽しみだ。
これまで、40年間 生かさせてもらったことに、感謝。
そして、出発だ。