本日、ある民間建築工事の引渡しが終わった。
お施主さんから
「立派な建築物が出来て、この建物が本格稼働するのが楽しみです」
という嬉しいお言葉を頂いたのだが
実は 一度構築した基礎コンクリート構造物を
自らの手で取壊して再構築したという苦い履歴を残した現場であった。

理由は明確に言って 品質が粗悪であったから。
この事実をこのブログを通して公にすることには
社内の関係者は抵抗があるのは承知しているが、
今後の自らの経営に自律を促す観点から敢えて表に出しておきたいと思った。

現場での粗悪な品質状態が明らかになった時、
当初は社内では「補修で対応すればいいのでは?」というのがほとんどの声であった。
一方、私としてはこれまでの当社の完成品の出来栄えから比較して到底信じられないレベルであり、
補修しても一定レベルの強度を保つことは出来ても
補修では粗悪な品質状態をゼロにすることは出来ないという点がどうしても
自分の中では消化できなかった。

そしてお施主さんに 「解体、施工やり直し」の案を提示した。
その後、全解体をやる・やらないのゆらぎがあったものの、
結果的に解体・再構築の方向で施工が進むこととなった。
もともといろいろな要因で工期的に厳しい現場であったため、
必然的に後工程の作業にかなりのしわ寄せがいくことになった。
年末は夜間工事、休日返上での作業が続いた。
外構工事は自社の施工班で対応したが、その他の大半は協力業者の仕事。
夜20時過ぎに会社を出て、恐る恐るある協力会社の会社の前を車で通ると
作業場の灯りがついて中で作業をしている様を目にした。
元請の責任者である私は、缶コーヒーの差し入れをすることくらいしか
出来なかった。

私は 最近特に 第一線で作業に従事する建設技能者の 遣り甲斐を
意識している。
私が子供の頃は 作業するおじさん、おばさんは 楽しそうに仕事をしていた
記憶がある。
夏休みにアルバイトで現場に足を入れたとき、自分は当時は嫌々な気持ちいっぱい
だったのだが、彼らの屈託のない笑顔と話しには かなり癒された。
今の技能者の人達を見ていると 「やらされている感」を感じることが多い。

楽しく ものを造る環境を   という思想 と 自分は真逆のことを
させてしまっていた。
元請会社の最高責任者として 大変恥ずかしいし そんな自分が悔しい。

引渡しを無事終えた本日の夜、帰りにもしやと20時過ぎに 先の協力会社の前を
車で通ってみると  事務所に灯りがついていた。
そして また恐る恐るドアを叩いてみると そこから社長さんが出てこられた。
そう、結局 当社の突貫工事のしわ寄せが 他の現場にきていたのだ。
もう その顔を見たとき かける言葉は 「すみません」としか出てこなかった。
「社長から頭を下げられると困りますね~。」
その会社の社長は苦笑いしながら明るく応じてくれた。

元請会社としての責任。
その会社の最高責任者である自分の責任。
二度と忘れない、忘れてはならない 現場にしたい。