人それぞれにはこの世での役割があると、ものの本で時折目にする。
果たして、自分の役割は何なんだろう?とふと思うことがある。
全く異なる業界から建設業界に入り、時には第三者の視点から異端児ともいえる行動をして、風を起こしたりした。
ネット上で現場の進捗を公開始めたことなどがそれ。
また、発注者にも 結構若いながらも はっきりと筋論を通したりした。
営業的にみると、この手法はたまに大きなマイナスに働くことがある。
それは、そうだ。行政はその判断にある程度裁量が委ねられているから。
それくらいはバカな私でもわかるのだが、そのやり方、生き方について
変えてこなかった。

正しいことを言うときほど、言い方に気を付けなければならないという。
自分ははっきり言って不器用な方なので、ストレートな言い方をついしてしまう。
(この点は大いに反省すべき点であり、改めなければならない。)

どう頑張っても こちらが筋が通っていても 結果は変わらない、
むしろ逆に印象を悪くして、その後の現場対応が悪くなっていくことが少なからずある。
それがわかっていも敢えてその姿勢を変えずに真正面からぶつかっていくことをする。
現場が出来る社員の中には、そんな姿勢を敬遠する者もいる。
「現場がスムーズにいくことを優先すべきだ。
相手(発注者)の気を悪くすれば、どうせ結果も変わらないのだし、
いいことは何もない」という。
やがて、そんな経営者に愛想をつかして会社を去っていく者もいる。
それでも 私はあえて 突き進む選択をとる。

それはなぜか?
自分のこの業界に入った志が
「閉鎖的な(だった~当時はもっと)業界を、多くの市民に受入れられる業界に変えたい」
「最終ユーザーにとって、本当に喜ばれる経営をしたい」
だったから。
いってみれば、これが 自分の今 建設業界で経営者をしている”役割”ということになるのだろうか。

1地方の小企業の経営者 対 相手は大きな組織。
そこに 真正面から向かっていく。
でも、その行動の中心にあるのは 「発展ある業界のために」という業界”愛”。
そんな姿勢だからどうか?
温かい目で 応援してくれる方もいる。
組織の中で頂点付近におられる(た)方 にも
少なからずいてくれたりする。
何でなんだろう。別に特別媚びを打っているわけでもない。
だから、 なおさら この業界のために 敢えて・・・となる。

会社を 大きくしていく  より 儲かるようにしていく  という思いは
自分にとっては さほど重要なテーマではない。
あくまで それは結果。

社員は本当に大変だろうな。
会社は何のためにあるか?
社員の幸福のため、社員のやりがいの実現のため。
確かにそう。
でも、どうも 経営者の志の実現のため、役割の具現化のため
という側面が より大きいのかもしれない。
一番いいのは、経営者の志に 社員が共感してくれ
その実現の過程において 各社員が いきがい、やりがい、喜びを
感じてくれること。

今 少子化で この建設業界は 人集めに大変苦労している。
表面的な満足感でなく 真に従事して満足を得られる業界にするためにも
これからも 今の姿勢を貫いていくことになるのだろうか。
以前は もっと逆風が吹いていたが、
齢を重ねたせいか 風当りも やや微風程度しか感じなくなってきた。
(風のよけ方も それなりに身についてきたから?)

建設業経営をしながら まちづくりにエネルギーを注ぎ 風を起こし
農林業関連の事業にも従事するようになっている。
自分は 50歳になり これからあと10~15年、
どういう役割をこの社会で果たしていけばいいのだろうか?
最近 いろいろとあった出来事を振り返りながら
この連休中に 思いを巡らせていた。