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”スポイル”ということ

2015年5月5日

さて、タイトルからして不穏な感じを受けるが、
スポイルする、スポイルされるということは往々にしてある。

 

スポイルという単語が流行ったのは一昔前だ。
辞書を引くと、「損なうこと」「だいなしにすること」とある。
用法は様々だろうが、人に対して使われることが多いと感じる。

 

ただ、スポイルする、スポイルされるでは、その本質は全く異である。
つまり、「スポイルする」は加害者意識の表れであり、「スポイルされる」は被害者意識の表れである。一社会人として、当然持っていて然るべきなのは、前者 加害者意識である。
一番まっとうなのは、加害者意識を持って、他社に接する人間である。
まれに被害者意識に溺れている人間に出会うが、何ともやるせない気持ちになってしまう。
しかし、被害者意識を感じている人間よりも、加害者意識を持たない人間は、手に負えない。
無意識的な加害者意識の発動は暴力そのものであり、それは様々なハラスメントへと繋がる。

 

ちょっと待てよ、見方を変えてみよう。
加害者意識と被害者意識は似て非なるものなのか?
むしろ、罪悪感に根差したものではないか。
つまり、被害者意識は「すべて私の責任」、加害者意識は「すべて誰かの責任」とすると、
両者とも「私にやましいことがある」ということになる。
自分自身でそこまで気づけばしめたものである。
バランスをとって人生を楽しめばよい。

 

しかしだ、自分で気づかないものは己自身の道化である。
滑稽な己を演じ続ける、ただのピエロである。
まぁ、ピエロであること、無自覚であることが強さの証でもあるのだろうが。。。

 

さて、スポイルということから話題が逸れたように感じるが、ご心配は無用。
スポイルするのも、されるのも罪悪感から生じるとすれば、その罪悪感を拭い去ればよい。
罪悪感があるということは、それは罰を待っているということである。
そこには受けるべき罰がないにも関わらずである。
その罰は死ぬまで課されることはない。そこには罪もなければ罰もないからである。
ありもしない罪と罰からの解放、それは許しである。罪も罰もないのに、何を許すのか。
それは、その人の罪悪感そのものである。

 

許された時、その人はようやく幸福に向かって歩き出すことができるのだろう。
だから、許しを与えてくれる存在に焦がれるのである。

 

許してくれる存在を持たず、罪悪感に苛まれた生を送る者は、強く在れ、開き直れ。
私の大好きな漫画、シャーマンキングのチョコラブ曰く「それが どうした」と。

 

 

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