プレーパークとは?
一昔前まで普通に行われていた自然を利用した遊びのおもしろさを、環境を整えてやることで最近の子供達にも味わってもらおうという施設。
五感を通して自然に触れ合う遊びを通して、自然の不思議さ・おもしろさ・こわさを体験してもらう。

通常行われている遊び
  1、自然を素材にした遊び
    泥遊び、ターザン、木の鼓動を感じる、焚き火

  2、工作遊び
    凧つくり、小屋つくり

  3、伝承的な遊び
    メンコ、鬼ごっこ

  4、スポーツ的な遊び
    缶蹴り、飛び馬、三角ベースボール


遊びに取り入れる際のキーワード
  (1)自然の素材をとりいれる

  (2)冒険心をくすぐる

  (3)挑戦心をくすぐる

  (4)秘密めいている

  (5)不完全である


従来の公園との相違点
  イ)「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーとしている
    禁止事項を一切つくっていない。
(子どもが本来持つ『何かやってみたい』という欲求・興味を一つでも満たす)

  ロ)道具が置かれている
    工具類、かまど等が設置されて、自由に使える。
(子どもの創造性をかきたてる)

  ハ) 指導リーダー(青年)を常駐させて、遊びを手伝う
    プレリーダーと呼ばれる遊びの"先生(お兄さん)"を常駐させている。


プレーパーク先進区の東京・世田谷の例
  1、主な歴史
    ・ステップ1(昭和50年)
      発起人が呼び掛け、賛同する周辺住民が集まり、「遊ぼう会」誕生。
お寺の建設予定地の一部を借りて、夏の間だけ暫定的に遊び場を設置。
資金獲得・渉外・広報には、近隣の父母や商店街の人たちが側面より支援。
プレリーダーは学生。

    ・ステップ2(昭和52年)
      児童センター建設予定地で1年を通しての遊び場に挑戦。
受験教育に熱心な親に、一見危険である自由な遊びの大切さを理解してもらえる難しさがあった
必要な経費は、廃品回収・バザー・パンフレット販売等で住民の手で作り出した。

    ・ステップ3(昭和54年)
      国際児童記念事業として、区(行政にも「冒険遊び場」に理解を示してくれる方がいた)と住民が協力して「羽根木プレーパーク」をオープン(休日のみ)。
場所と資金が行政が運営は住民が責任を持って担う体制が、このときからスタート。

    ・ステップ4(昭和54年)
      平日も開園してほしいという要望のもと、行政に働きかけ『プレーパーク専属の有給非常勤の職員』が誕生。

    ・ステップ5(昭和57年)
      区の掲げる「コミュニティ政策」にも有効との判断から、2つ目のプレーパークを開始。
現在、3つある。

  2、形態 都市公園の一角を借りて運営。
    「火を使うこと、公園内の樹を遊び道具として自由に使うこと」に関しては、いくつかのハードルを乗り越え、現状は容認されている。
    【ご参考】
火を使うことに関しては、空き土地が少なく且つ近くにキャンプ場等が無いという地域性から、仕方なく都市公園に設定された。