2009年4月アーカイブ
4月17日の地震発生と同時に下の写真の地すべり土砂崩壊が発生しました。
現在、当社がトンネル掘削している現場から1kmも離れていない箇所でした。
ある意味、運がよかったと思います。
この土砂の斜面の奥にトンネルが掘られていきます。
この道路は、椎葉村と日向市をつなぐ基幹道路であり、しばらくの間通行止めになります。
トンネルの早急な開通が望まれます。
地元住民の期待を背負って、目下トンネル工事を進めております。
トンネル工事の詳しい状況は、こちら
なお、この下の写真は 3年前に発生した災害発生箇所の現在です。
いまなお、生々しい爪痕を残しています。
本日の祝日は、今週土曜日と振り替えるために、出勤日とした。
といっても、一般の人は会社は休み。子供も休みの日である。
親戚の間でお茶摘をした慰労も兼ねて、夕方から焼肉会が行われていたので、
会社で進めていた作業を中断し、出席した。
屋外で、身内でわいわい楽しくやるのは、やはり気が休まる。
家に帰ってきて、中断した作業を自宅PCで再開。
今日は、他の家族は早めに就寝し一人でPCに向かうことができ、
且つ上記の焼肉会のおかげでかなりリラックスした状態で作業を進められたので
質の高い仕事ができた。
さて、ひと段落して ふと 考えてみることがあった。
それは、「社員の判断と 社長の判断 どちらを優先すべきなのか」 ということだった。
工事を行うにあたり、現場担当者個人としての考え方、進め方というものがある。
一方、会社という”個人”としての考え方、進め方というのもある。
経営者としてとる対応に、大きく二つ分かれる。
一つは、「社員の判断に任せる」パターン。
そして、もう一つは「会社の考え方を優先する」パターン。
どちらも、正解のような気がする。
前者の考え方で経営して、うまくいっている会社も確かにある。
現場の担当者としては、もちろん前者の方がおもしろい。
今の私は、中途半端かもしれないが、
「社員の考え方、意向は最大限に尊重するが、基本的な方向性に触れる部分に
ついては自分の考え方を優先する」
という考え方に立っている。
工程を考えるときも、現場担当者が描いた順序の中で、
「この工種だけはこの時期までに完成しておきたい」という方向性に外れてしまう
場合はその箇所だけは、トップである私の考えを優先させてもらう。
資金繰りの問題、他の工事との技術者の配置計画の問題などの視点から自分の
意見を優先させることがある。 これは、当の現場担当者も理解を得られやすい。
ときには、自分の得た特有の情報、経験(現場以外も含む)、それらから湧き出てくる
”勘”により、トップである自分の考えを優先させることがある。
これは、なかなか現場担当者の理解を得ることは難しい。
私も逆の立場だったら(20代のサラリーマン時代なら間違いなく)、
理解し難かったと思う。
以前、こんな話を 社会企業家論で有名な田坂広志先生のコラムで読んだことがある。
社長が、ある経営上の課題について、二つの選択肢についてどちらにするか
悩んでいた。
そして、社長は社員に意見を聞いた。
社員はみんな、社長が傾きかけていた選択肢でないもう一つの方向を選択した。
そして、社長は 「やはり自分の選択は間違いない」との確信を得て、
当初決めかけていた判断を採択した。
社長は 普段から 会社を成功へと導くための 情報収集力、そして感性 を 鍛えておく
必要がある。
ときには、社員が すぐには理解できないような経験、行動もとる くらいの割り切りも必要
なのかもしれない。
先日、親戚宅で 焼肉会をして楽しかったが、
焼肉と言えば 先々週の日曜日。
長女の保育園の親子で、焼肉会を行いました。
発起人は、ある児童のお父さん。
年長組にあたるお父さんたちは、今年は 秋の運動会での”応援団”
そして卒園式での”お祝い芸” と 活躍が期待されています。
それだけに、親睦を深めるいい機会になりました。
不思議と、「子供が同じ保育園 」という共通の認識、想いがあると
盛りあがります。
こういう気持ちの寄り合いが、子供を守る活動に繋がっていくのだと 感じました。
もっともっと こういう輪が広がればいいですね。
入札における総合評価制度が年々広まっているが、個々の検査点数の
評価ウエイトは比例して高くなるばかりである。
それは、それでいい傾向だと思うが、意外と当の現場の担当技術者は
その現実の重みを十分理解しているとは言い難い面がある。
「検査でいい点数を取らねばならない」 ということは理解してもらっている。
しかし、「そのためには どういう具体的な対応をしなければならないか」となると
意外と熟知していないケースが多い。
例えば、「過去に指摘を受けた事項は、予め頭に整理し再度受けないように注意する」 とか
「どのような写真の撮り方が、評価を受けるのか」とか などは、
一部では対応しているが全施工を通じて一貫して対応しているか、となると
中途半端だったりする。
もっとも、現場の代理人は、検査の対応だけでなく、工程そのものを無事故でスムーズに
終わらせることにも神経を割かねばならないから、大変ではある。
話は少しそれるが、検査で受けがいい(普通より上の点数をとる)ようにするには、
日常のちょっとした気配り、目配りによる日頃の現場管理に加えて、
検査前直前の書類整理にかける気合いの入れ方の大小に負うところが大きい。
どちらかというと、検査前直前の書類整理を気合いを入れて、完璧な状態に向けて
どれだけ諦めずに粘り強く取り組んだかで、検査点数の差が大きくついてしまう
ことになる。
手を抜くことは とても簡単。
しかし、より完璧な状態に向けて 手を抜かず向かい合っていくことで、必ず相手も
それにこたえる形で評価してくれることも確かだ。
ある現場が、近く検査がある。
本日、ある会の年一回の定期総会があり、早めに帰社したが、
どうも書類の完成度が気になり、会社に戻ってきた。
まだ、この時間でも明日提出すべき書類の作成に取り組んでいる。
提出ギリギリまで、踏ん張って取り組む様相である。
上司や私が修正指摘した箇所を、一生懸命手をつけている。
この気合い、姿勢が、そして時間が、検査の点数アップに通じることを
願ってやまない。
社長とは 会社の最終決裁者である。
印鑑を押してしまえば、それがイコール会社の了解 となる。
ちょっと、外出が続くと、社長の机の上は決裁書類の山となる。
そのまま、貯めていくと、決済をしてからスタートする業務が停滞してしまう。
「机の上に書類が山積みするのは気持ち悪い。
とにかく、自分の手持ちの仕事はできるだけ早く片付けて帰りたい」という気持ちだけが
先行して、一気に印鑑をついてみたくなる。
しかし、そこで一度印鑑をついてしまえば、 そこからはその押印した書類が
私の意図に関わらず 独り歩きしていく。
「会社としては、そんなはずではなかった・・・」と言ってみたところで、
押印という形で承認の証が残っているのだからしているのだから、後の祭り。
それだけ、私の押印の持つ意味は 大きい。
自慢ではない。むしろ、ある意味苦痛である。
請求書の中をチェックしていくと、いくつか無駄な支出が目に付くことがある。
それを、とにかく
「早く決裁して、その後の手続き(支払や原価管理)に間に合わせればよい」
と、適当に流れ作業で押印していくと、無駄な支出の癖が社内に蔓延していく。
人は本来、楽なほうへ流れていきやすい。自分でもそうである。
社内の雰囲気を締めるまでには、時間がかかるが、
逆に緩めるには 時間はそうかからない。むしろ、簡単に少しの時間で崩れていく。
その責任感 が 社長の対価 である と ときにしみじみ実感することがある。
最近受注した現場について、本日2時間かけて着工前の打ち合わせを行った。
私、工事部門の責任者、現場関係の技術者2人 の計4人。
会議に臨むに当たり、予め指示していた事項の確認。
指示が徹底されていなかったのだろうか?一部の指示事項が準備できていなかった。
非効率ながらも、口頭で一つ一つ内容の確認。
書類で用意されていたら、どれだけ効率的に進めたことか・・・
そして、実際の現場施工方法について検討に入る。
施工が雨季にかかり、現場が水の影響をもろに受けるところなので、
ここで喧々諤々意見を交わした。
私は、そもそも現場経験が浅い。
一方、今回参加している技術者は地域でもトップクラス級。
細かい技術論になると、当然私より他の参加者の方が経験に裏打ちされた論を展開する。
ただ、ときによっては、その技術者の主観、これまで自分の中で蓄積された”思想”が
その論の背景を形作られていることがある。
私は、技術論では劣るとも、リスク管理面では一番優れた理論、感性を備えていなければならない。
「普通の現場では・・・」という理論は、リスク管理上では 判断の優先規準では優先されない。
優先させるべきではない。
普通でない場合を想定して、そのときに対処できる施工技術は何があるのか?
その施工技術は、現場条件に対応して現実的且つ合理的か?
この質問に的確に回答できないと、いけない。
リスク管理上、許容できるギリギリのところで、技術的裏付けをもって施工方針を決定するのが
私の役目である。 と本日改めて肝に銘じた。
本日4月8日は、お釈迦様の誕生日にあたります。
お釈迦様は、お生まれになったときからあった「地位」「名誉」「財産」
を一度、すべて 0 にしてから、修行に入り、悟りを得ました。
行き詰ったとき、 所有しているものをすべてを思い切って 0 にして
考え直してみる これが 今の時代の経営にも必要な姿勢かもしれません。
今まで蓄えてきたノウハウ、財産、会社の実績 これらをすべて 無にして再スタート
することは、とても今の自分には怖くてできません。
しかし、その姿勢は大事だとは思います。
何を無にして 再スタートしてみるか?
この日を機会に 少し考えてみたいと思います。
先日、家族が久し振りに我が家に戻ってきた。
家族が家に居ないと、自分だけで使えるゆったりできる空間を享受できるが、
やはり灯りが消えた家に帰るのは寂しいかった。
さて、本日から息子は3年生。娘は年長さん。
また、息子はこれまでやっていた水泳を卒業し、4月から剣道とバトミントンを始めることに
なっている。
剣道は、本日が初日。久しぶりに早めに家に帰ってくると、まだ息子が起きていた(20時30分)。
新学年の学校も、剣道の初練習も楽しかったようで、安心。
剣道は、自分が小学校の頃やっていて、振り返ると精神面でもいい影響があったと思うので
勧めた。バトミントンは、彼の希望。
彼は、どうも運動面が苦手なようで、最近始めたキャッチボールでも、どうもうまくボールが
キャッチできず、投げ方もぎこちない。
通知表も、ほとんど「大変よくできました」に○が入っていたが、一つだけ「よくできました」に
○があったのが、体育。
彼曰く、「体育は苦手なんだよね」だそうだ。
結構、外ではしゃぎまわるのは好きなようなので、その点は安心しているのだが・・・。
ちなみに、年度末に学校からもらってきた「将来の夢」の冊子に書いてあった彼の夢は
「研究者になること」だそうだ。。。
親の遺伝子は どこかに飛んで行っているのか?突然変異か?
ま、私の子だろうから、研究の域は 知れてはいるだろうが、
夢は外部からは壊さないようにしてあげたい。
それが親の務めであろう。
