2007年12月アーカイブ
今日は、ゆっくりした日を過ごします。
みなさん、この一年 このHPを見ていただき、ありがとうございました。
みなさんにとり、来年も よい一年となりますように、心よりお祈り申し上げます。
合掌
今回は建物ではありません。
当社のトイレです。
長年使っているトイレですが、本日は仕事納めにあたり、
ゴシゴシと みっちり時間をかけて掃除をしました。
汚水口の中まで、かなり入念にやりましたが、
ちょっと写真では公開できない”塊り”が出てきて びっくりもしました。
これで、今年一年の 埃 も一気にとれた というものでしょう。
トイレは、家財に宝をもたらす神が宿ると言われいます。
(家を建てたときに、神様を招く儀式をしますね。
あのとき、各部屋にそれぞれの
神様が宿ってもらえるらしいです。
宝の袋を提げた神様は、その重さから一番遅く家に着く
らしく、誰も宿ろうとしないトイレに落ち着くとか。)
宝だけを目当てにするわけでは、ありませんが
なるほど おもしろい話だと思います。
確かに、トイレをとことこん きれいにすると、心が”豊か”に
なった気がします。
これが ”完成品” 自分でいうのもなんですが、光るくらいに きれいになってくれました。
アップの写真
こちらは、使用した ツール です。
答えは 「チャペル」でした。
日向市原町にあります。
施主は 喜重会館さま です。
設計は、ai建築アトリエさま です。
ちなみに、この外壁は「打ちっ放し」です。
型枠に凹凸があり、生コン打設は苦労しました。
施工業者泣かせでしたが、こうやって出来上がりを見ると、やはり
”苦労はやがて美しい形に昇華する”
っていう思いをもって 感慨深く見とれていました。
設計は、やはり芸術の域ですね。
ai建築アトリエさん さすがです。
当社にとって、また新しい作品が完成した。
感性豊かな建築士の先生と、弊社の技術者の共同作品。
厳しい工期であったが、協力会社の惜しみない力の支えが、ありがたく感じた。


さて、この二つの写真で、なんの建築物か 想像できますでしょうか??
答えは、後日・・・
こんなに 自然を楽しめるところに 自分は住ませてもらっている。
今 ここに 居ることの 幸せ 改めて感じている。
人を責めず、体制を責める
そう先日書いた。
「責める」 ということと、「叱る」
ということは別のことだ そう本日感じた。
「責める」ということは、その人そのものをも攻撃するというイメージがある。
「叱る」 とは、その人でなく、とっている行動を攻撃する、是正させるというイメージを
自分で持った。
ベテランの技術者でありながら、材料の読みが甘い という場合。
ベテランとして会社が認めていながら、
実態がかい離している場合だ。
言い訳を並べるなど、尚更だ。
新人なら、「少しずつ少なくしていくように」程度でいい。
しかし、本人もベテランと自負している以上は、行動がそれに伴った
行動をしてもらう必要がある。
だから、叱る。人そのものでなく、あくまで「行動」を否定するのだ。
職業人は、その分野でのプロである。
なら、その能力によって人員配置を考える。
配置されたら、その要求される能力に見合った業務を行うべきだ。
能力が低ければ、低い業務に就かせ、逆であれば高い業務に就かせる。
そこに、言い訳は通用しない。
見合った業務をしていなければ、叱る。
そこで、「どういうふうにやるのが、見合った業務なのか」をきちんと明示する。
何度叱っても、見合った業務をしなれば、怒るのではなく人格を否定するわけでもなく
人員配置を変えるだけだ。
まだ、明確なスタンスが掴めないが、なんとなくボヤーっとわかってきたような感じがした。
本日は、久し振りにお酒がオフの日だ。
ずーと、続いていて、さすがに 体が 疲れきっていたので
こうやって 家で ゆっくり食事して、静かに夜を楽しむ時間が
心地よい。
なお昨日は、結構おもしろかった。
業界の忘年会のあと、気の合う仲間と2次会へ。
そして3次会の店で、バッタリ「ひょっとこ祭り」の実行委員の同志と合流。
こんな 落ち着いた感じの店で
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
こんな ことを していました。(歌っているのは、40歳直前にしてゴールイン予定の
友人。ギターは、飛び入りで大分から登場した 流しの おじさん)
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
こんな店で 「千の風になって♪♪ ? 」と、あの秋川さん調で歌った 珍しい人がいた。
○○雅○ さん。 雅が 秋川さんと同じ名前の人。。。
「人を責めず、制度 ・体制を責める」
怠けず、嘘つかず 一生懸命取組んでいる上で発生する失敗は、
その人そのものは責めてはいけない。
そうさせてしまった、会社の体制の責任である。
例えば、施設配置、人員配置(適材適所でなかった)、社としての戦略etc
そういえば、10月28日のブログで、以下のように書いている。
========================
失敗したことについて、その人を責めるのではなく、その制度を責める。
同じ人が失敗をする人が仮にいた場合でも、その人でなく、その人をその職務につけた人事を責める。
そんな姿勢だ。
果たして、会社の経営としてうまくいくかどうかわからない。
ただ、今の自分の中では、そうしたい と感じている。だから、やってみる。
==================
こう心に言い聞かせても、 2ヵ月経った今の自分は、
「なんで、こんなことしたんだ!!」と まず口に出てしまった。
まだまだ、 道は 遠そうだ・・・
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
こうやって書いたら、すぐ知人から電話連絡が・・
「何か、あった?」
「へ?」
「何か、あったのでは?」
そう、ブログを記載したら 10分もしないのに 連絡があった。
そういえば、先日も
「内山さん、最近 ブログ更新してませんでしたね」
と言われた。
また、とてもブログなど興味がなさそうな別の知り合いの方からも
「奥さんから ”査定”されるからね?」
と突然言われ、ドキリ。
結構、更新があっているけど、なんだか 見られてる って 怖いな?。
断わっておくと、先述の社員の失敗については、結果的には ”軽傷”で済んだようなので
付け加えておく。
会社 しいては 私自身への 警鐘だったと 思う。
土曜日は、普段遠くていけない現場へ足をのばした。
2005年の台風災害が残した爪痕が、まだ生々しく残っている現場だ。
しかし、いつ行っても この現場の有り様を見るたびに
自然の恐ろしさ そして 人間の存在のちっぽけさを
まざまざと見せつけられる。
地球温暖化対策についての会議、COP13 が先日閉幕したが
具体的な数値目標は先送りされた。
我々建設業に従事するものは、自然と直接関わりながら仕事をする。
だから、大自然のもつ美しさにも そして その怖さも 体で感じて知っている。
建設技術は、かなり進歩しているが、やはりその人間の英知も、自然の持つ
変幻自在の動き、エネルギーには遙かに及ばない。
多分、これは永久に同じ力を持つもとなど、ないだろう。
つまり、人は自然にいつも時代も 頭が上がらない存在であり、自然の摂理
に従わなければいけない存在である。
自分たちのエゴで操作をしようなどと考えては、とても 及ばない存在なのだ。
本日は、冬の賞与査定を伴う人事面談の日。
やはり、社員一人一人は 考課表を見せられるときは神妙な顔になっていた。
わが社の人間は、おかげでみんなまじめな人ばかりなので、なおさらその傾向がわかる。
若い社員などは、ハラハラドキドキしているのだろう。
本来、人は一つの物差しでは測れないはずだ。
それなのに、「会社のために、どれだけ貢献してくれるか」という一つだけの基準で
人を評価してしまう瞬間だ。
貢献の仕方も、いろんな尺度が本来あるだけど。
本人自身の自己評価してもらうのだが、
今のところ考課項目は一方的に私の方で策定している。
これは、あまりよくない。
今後は、本人と一緒に目標項目を決める、というのも大事だろう。
余談だが、私は会社の代表者なので、社内の人間から直接的に目に見える形で
査定されることは無い(最近は、社員から査定をさせる会社もあるようだが)。
よって、このハラハラドキドキは無い。
いいようで、悪いようで・・・。
もっとも、当社に向けられる評価は、そのまま私個人の査定みたいなものなので、
いつもハラハラドキドキしている という環境にあると言えば、ある。
最初は、風評なども結構気にしていたが、最近は気にしなくなった。
「なるようにしか、ならない」
そう感じることができるようになったからか。
良識に照らしておかしいと思えることがあれば、訂正する。
そう感じなくても、本当にそのこと自体が社会良識上おかしかったら、
必ず天は自分になんらかの事象によって諭してくれる。
お天道様 とは よく言ったものだ。 天の道は、天が観ている。
なお、私は役員だから賞与は無いのは当たり前だが、
やはり あのサラーりマン時代に味わった 「普段と違って、少し贅沢しよう!!」
という、胸躍る瞬間が味わえないのは、少し寂しい かな。
社員のみんなが、家に帰って喜んでもらえることに幸せを感じる。
これは以前は味わえなかった贅沢ではあるのだが。
妻にしてみれば、そんな個人的な感傷なんかよりも、
実(臨時収入)が入ってこなくなったことが寂しい とぼやいている。
社内では自分を査定する人はいないが、家では思いっきり”査定”されている自分がここにいる。
ま、ぼやきながらも、わかってくれているところに感謝、感謝である。
(こう書いておかないと、家でまた”査定”される)
