本日1月11日 111 は私の誕生日である。
今日は、あいにく県外出張で、当社の社員と二人で”ドライブ”。
帰りに、別府の夜景を車窓から眺めながら、
「誕生日の夜に、○○さん(男性)と一緒に別府の夜景か・・・」
と つぶやいたら 横で笑われてしまった。
会社に戻り、PCを開くと フェイスブックには、もうたくさんのお祝いの言葉を頂いていた。
便利なツールをよく開発したものだと思う。
今日は 4月以降 苦戦していた工事の受注が、2件続けてでき
上記の知人からのお祝いの言葉と合わせて うれしい出来事があり いい日であった。
何より 嬉しい出来事 と言えば ・・・ これです。
小学2年の娘が 最近習いたての裁縫で 余ったハンカチを使って作ってくれた入れ物。
ボタンのつけ方など 未熟さがあるが、そこが また なんとも言えない味があっていい。
いずれ 私などは 寄り付きもしなくなるのであろうが、 だからこそ
40代半ばにさしかかろうとする自分にとって、このプレゼントは 最高の贈り物であった。
この会社のHPに2012年の新年の挨拶文を掲載した。
その中の次の一文を見て、「それはおかしいのではないか?」
と疑問を投げかけてきた人がいた。
その一文とは
災害対応で「人の生命の安全を保護するため」の行動において、
作業従事者の安全と、どちらを優先するかという問いは
非常に難しい 問いですが・・・
というくだり である。
つまり、「作業従事者の安全が確保されて初めて、他人の災害対応ができるのだ」
という主張である。
これについて こう答えた。
それは自明の理です。
しかし、 そういう論理が展開できない非常に厳しい局面に遭遇することもある。
昨年、震災関連のフォーラムを所属している勉強会で主催した際、
福島県の同志と意見交換する機会を得た。
この社長は、まさにあの原発事故対応を、現場の第一線で指揮した一人であった。
「もし、あそこでうちが動かなかったら、背後にある大都市、そして日本国が大変な
状況に巻き込まれるかもしれない」
そのとき聞いた言葉である。
建設業を批判する方へ
二律相反する論理に挟まれながら 市民の安全を第一に想って行動をする
業界の側面については 真正面から批判できることはできないでしょう。
会社は28日で仕事納めだった。
昨日29日、そして今日30日と じっくり一人で各現場廻りをした。
建設現場は、事故と隣り合わせ。
ある大手小売業者の経営者と話をしたら、やはり建設業ほど事故発生のリスクはないようだった。
事故発生を誘発する環境が現場に放置されていないか、いろんなことを考えながら廻った。
そして各現場の 地の神様に お礼と来年からの無事故無災害をお願いした。
今年一年が終わろうとしている。
一年一年 建設業を続ける上で 年末まで事故発生と隣り合わせで 生きていかねばならない。
社会にとり有意義な事業であるべきインフラ整備。
お金を稼ぐだけなら、リスクが大きすぎる建設業は間違いなくやらない。
建設事業をやる意義を この年末年始に 少し再考してみたい。
昨日から 息子と二人暮らしだ。
別に家庭的に問題があったわけでなく、妻の実家に妻と娘が帰っているからだ。
お風呂沸かしたり、湯たんぽを入れてあげたり、一緒にお墓掃除に行ったり。
息子と二人きり って なんだか いい感じだ。
車も一緒に掃除した後、本屋に寄り、つい2冊ほど気が引いた本を買ってしまった。
一つは落合前監督のもの。あと一つは、人の死後についての客観的な考察をしている本。
この正月には 当初予定していた本があるのだが、一気に読破できるだろうか?
基本的にはテレビを見ない人なので、マイペースを作れるので ぼちぼちやりたい。
自分がいかに 人間性を高められるか それが そのまま 会社経営に直結することを
肝に銘じて来年 スタートを切りたい
社員から 息子さんの結婚式出席のためということで休日届があり
気持ちばかりのお祝い金を渡した。
社員の祝い事は、社長としても本当に嬉しくなる。
いい結婚式、そして素晴らしい家族の誕生を祈った。
先日、その社員の息子さんから 新婚旅行帰りのお土産と一緒に
一通の手紙が机の上に置いてあった。
父である社員が、息子さんから言づけで置いていたみたいだった。
「え、自分が厳しいから、もしかしてお怒りの手紙かな?」
と恐る恐る手紙を開いてみると
祝い金のお礼と、新婚旅行のお土産を買ってきた件、そして
私についてのブログへのコメントが添えてあった。
具体的な言葉は恥ずかしくてここで掲載しないが、
お褒めの言葉だった。
多分、これまでお父さんの会社のホームページは開いたことが
なかったのだろうと察した。
開いたついでに、私のブログを見た。
そこに 父のいる会社の代表者の姿を垣間見、安心した
こんな 感じだろうか。
子は親の鏡。親のこれまでの教育の良さを察することができ、
そんな親を社員として働いてもらっていることに改めて感謝したが、
それよりも お子さんがお父さんの会社に安心感をもってくれた
ことが何より 嬉しかった。
もちろん、私自身 ブログから受ける印象の十分の一くらいもないくらいの
未熟な人間であることは 百も承知。
もっと もっと 人間を磨いて 社員だけでなく その先にいる家族へも
安心感、喜びを与えられるような経営者になりたい と強く感じた瞬間だった。
最近、前の会社の上司から 定年退職の知らせのハガキが届いた。
社会人一年目から約2年間、お世話になった方からだった。
私は、ある都市銀行の高松支店で社会人のスタートを切った。
当時の人事の方針からか、私は融資と外国為替の見習いに配属。
しかしながら、当然預為業務(お客さまの預金、出金、送金業務)も
その一連の業務の派生するわけであるが、全くもって右往左往する
日々が続いていた。
そんな私を見かけては、優しく声をかけ、そしてかなりの業務支援
(支援というか替りにやってもらっていた)をしてくれたのが、この方
だった。
だいぶん、甘えさせてもらったものだった。
今思えば、今の私と同じくらいの年齢の女性だったが、そのときは
凄く大人に見えた人だ。
毎年、年賀状の交換はさせてもらってはしたが、 やはり
わざわざ退職の知らせをしてくれたのは 嬉しかった。
気持ちばかりだが、 慰労の便りと そして お花を贈った。
ほどなくして、その方から 讃岐名物 うどんが送られてきた。
こんな 人との 縁を どんどん 繋げていきたいものだ。
絆 いい言葉だ。
「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」 日 だそうだ。
働けることの幸せ
会社を経営する立場としては 生産を実際に担ってくれる社員あって働けるわけだ。
そう、私にとって この日は 社員への感謝への日である。
建設事業だけでなく、培養土生産事業についても 本日の祝日も多くの社員が働いていた。
感謝の気持ちをどうやって伝えるか?
お金? これは確かに即効がある。
しかし 冬の賞与支給が来月に控えているし、あまりにも安易すぎるし、
何より 軍資金にも限界がある。
まずは 言葉 を掛けて回ることにした。
そして、本当に気持ちだけだが 缶ビール(350mlでなく 気持ちとして500mlにした)を
一人一本配って回った。
「え これだけ?」と 嫌味を影で言われるかな? とも承知で とにかく行動。
反応は? みんな 本当に 喜んでくれていました。
経営とは 数値管理よりも 大事なものがある。
数値管理も まずは その管理が機能する土壌 が必要である。 そんな感じを覚えた一日でした。
19日土曜日 今般関連会社有限会社エコロ(園芸用土製造、販売)の移設工場で
恒例の鮎、焼き肉社内食事会を行いました。
あいにく準備に費やした午前は土砂降りでしたが、
食事会スタートした午後からは快晴に変わりました。
ひょっとこ祭りのときもそうでしたが、どうも最近 お天道様に恵まれています。
このように ぐったりできるくらいリラックス
今日は 会社に ひょっとこ踊りが 訪れました。
地元地区の厄払いで大祭が行われるのに合わせて地区内を
廻る慣習があります。
今の場所に会社を移転してから、30年近くなりますが
会社に来てもらったのは 今回が初めてでした。
運も これに合わせて 巡ってくるかな??
先週の今頃まで 約5日間ほど 体調不調だった。
3日間は特にひどく、ずっと布団の中に入っていた。
気持ちが どうも優れない状態だと感じていたが、精神的な疲れも
体は感じ取っていたのだろうか。
歳なのだろうか? 勢いだけに任せて過ごすことに慎重になった方がいいのだろう。
これからは 少し 流れ 間合いを感じながら 物事にあたっていくことを
心掛けたい。
寝込んで すっきりしたせいか、このところは 気持ちも上向きになってきている。
昨夜は 市内の施設でキャンプ(バンガロー)をして ゆったりさせてもらった。
子供が保育園のときに集まった家族会が、毎年恒例で行っている行事だ。
子供も 大人も雑魚寝状態だが、 これも またよし である。
更新がまた1か月超えそうになった。
時間は作ればあるのだが、なかなか書き込みをする気持ちに乗ってこない。
なぜだか なんだか わからない。
仕事の計画が 思ったほど うまく進んでいないことへの 苛立ち
ひょっとこ祭りへの 自分なりの気持ちの整理
社内の社員教育へのジレンマとの葛藤
いろんなことが混在しているように思える。
仕事の環境について言えば、 それなりに前には進んではいる。
社員も それなりにはきちんと仕事をしてくれてはいる。
理想が高すぎるのか?
しかし、これから先のことを考えると、どうしても 厳しめの目にならざるを得ない。
自分が緩めたら 会社が先行きつまり そして社員が困る。
会社としての哲学は曲げるわけにはいかない。
いずれにしても 会社は トップ次第 であることだけは間違いないだろう。
しめるも 緩めるも その時々で それぞれの対応が必要なときがある。
